・川澄舞[かわすみ・まい]
本編ヒロインの1人。18歳で、福南学園高校に通う祐一の先輩。神職家・川澄氏傍系の末裔。「川澄」は母方の姓で、両親の離婚後に改姓したものである。南森市郊外・沢潟(おもだか)にあった母の実家に伝わる家宝として、数本の刃引きの刀剣を所持している。非常に無口で不愛想ですらあるが、実は子供のように純粋。超能力や霊感を持ち、かつて病に斃れた母・啓子を生き返らせるという奇跡をやってのけた。しかし、それを親戚の手で公に暴露されてしまったため、世間の好奇の目に晒されることとなり、両親の離婚と実家のあった南森への転居という悲劇的な結果を迎えることとなった。10年前、祐一と知り合うも別れる羽目になり、祐一に会いたさのあまり自分の力を実体化させた「魔物」と戦い続けていた。佐祐理の相談を受けた祐一の参戦で戦いを終わらせ、全ての真実を明らかにしたことがきっかけで、使っていた剣が殺生石の一件で砕け散った十拳剣・大量剣のかけらを鋳直したものであることが分かり、一件に巻き込まれてゆく。父親は両親が離婚したため不在、また母親も出稼先の東京で客死しており、現在は親戚(米国在住で舞を売った親戚とは別の人)の援助で橋場町のアパートで一人暮らしである。
・川澄啓子<故人>[かわすみ・けいこ]
舞の母で、神職家・川澄氏傍系の末裔。南森市郊外・沢潟(おもだか)の農家の娘として病弱ながら不自由なく暮らしてきたが、22歳の時に借金のかたという形である村に住んでいた因業な親戚の息子結婚することになってしまう。非常に閉鎖的な村の雰囲気の中で、親戚の手ひどい仕打ちに耐えながらも何とか舞を生むが、4年で一方的に離縁される。その後、舞が5歳の時に持病が悪化して死亡、舞の超能力によって蘇るが、それを金儲けに利用しようとした元夫の姉によって公にされてしまい、世間の好奇の眼に晒されたことで、日本各地を転々とする羽目になる。そして例の親戚が借金のために一家離散したことや、米国在住の遠縁の従兄弟が支援を申し出たことで、実家(この時既に離散)のあった南森に戻り、舞と暮らしていたが、8年前に東京へ上京した際に客死した。享年32歳。
・倉田佐祐理[くらた・さゆり]
舞の親友。18歳で、福南学園高校に通う祐一の先輩。神職家・倉田氏傍系の末裔。一見、脳天気でおっとりしたお嬢様のようであるが、その裏には12歳の時、弟・一弥を姉らしく接することが出来ないまま死なせてしまったという思いによる深い心の闇がある。変人扱いされ疎外されていた舞にこだわりなく接したことで、それ以来唯一無二の親友となる。隣の天野家にたまたまやって来た祐一に、戦い続けている舞のことを相談したのがきっかけで、一件に巻き込まれてしまう。自宅は神職家ゆかりの橋場町、南森川と鏡川の交わる辺りで、天野家の隣家である。天野家同様、大きな蔵のある旧家で、市議会議員の父親と二人暮らしである。
・倉田一弥<故人>[くらた・かずや]
佐祐理の弟で、神職家・倉田氏傍系の末裔。父・繁弘の締めつけにより、姉に厳しくしつけられた。生まれつき難病を抱えていたため、幼稚園に上がる前に夭折した。享年5歳。
・倉田繁弘[くらた・しげひろ]
佐祐理の父で、神職家・倉田氏傍系の末裔。福島県議会議員を経て、現在は南森市議会議員を三期にわたって務めており、庶民派の飾らない議員として支持が厚い。県議会議員をやっていた頃は「自分の家は名家なのだ」という意識を強く持っていたため、虚栄心が強く上流階級ぶり、娘の佐祐理に対しても締めつけて自由を奪う一方であった。しかし、そのために細君に去られ、選挙にも落ち、さらに佐祐理を自殺未遂に追いこんでしまったことから、自分の行いを反省し、余計なプライドを捨てて人に接するようになる。隣家である天野家の当主・治雄とは元クラスメイトで、改心してからの酒飲み友達。
・久瀬進[くぜ・すすむ]
福南学園高校生徒会会長。父親の春樹は佐祐理の父・繁弘と旧知の間柄。17歳。尊大かつ驕慢な性格で、生徒会を独裁政権化しているばかりか、権威を保つためならどんな真似でもするため、学校中から蛆虫のごとく嫌われている。特に舞を眼の敵にしており、退学処分に追いこもうとしたばかりでなく、あわよくば佐祐理を生徒会に引き入れようと画策したことで、2人から大いに恨まれていた。しかし実は天野氏傍系で千勝神社の神職であった天野宗右衛門喜教によって封印されていた殺生石の手先が、20年前にひどいいじめを苦にして自殺した同名の生徒の姿を借りて出現したもので、神職家の末裔である舞を消し去るためにさまざまな策を練っていた。校舎での舞の最後の戦いに現れ、実体を現したところを舞に斬られて消滅する。
・天野宗右衛門喜教<故人>[あまの・そうえもん・よしのり]
神職家・天野氏傍系の人。美汐の直接の先祖。生没年は未詳だが、物見神社が廃絶したのと同時代の14世紀後半から15世紀初めを生きた人と思われる。物見神社の分祀である千勝神社の第13代目宮司を務めていた(なお、天野氏自体はこの千勝神社の宮司職からは16世紀末を最後に退いている)。陰陽道に秀で、当時の並みいる妖魔を封印したとされ、伝説的な人物になっている。しかし実際には、殺生石が神職家の血筋を根絶するために放った手先を全て封印していた。また、『物見神社覺書』なる写本を残し、祐一たちに資料を提供する。
《舞台の設定(3)》
・南森千勝神社(みなもりちかつじんじゃ)
旧奥州街道沿い、陣屋町に鎮座する神社。「南森総鎮守」とされる大きな神社で、境内に参集所や結婚式場の「千勝会館」を持つ。祭神は味耜高彦根命(あじすきたかひこねののみこと)・日本武尊。摂社は稲荷神社(祭神は倉稲魂神=うかのみたまのかみ)の1社、末社は十二所神社(祭神は国常立尊=くにのとこたちのみこと・国狭槌尊=くにのさつちのみこと・豊斟渟尊=とよくもぬのみこと・泥土煮尊=うひぢにのみこと・沙土煮尊=すひぢにのみこと・大戸之道尊=おおとのちのみこと・大苫辺尊=おおとまべのみこと・面足尊=おもたるのみこと・惶根尊=かしこねのみこと・伊弉諾尊=いざなぎのみこと・伊弉冉尊=いざなみのみこと・天照大神・正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊=まさかあかつかちのはやひあめのおしほみみのみこと・天津彦彦火瓊瓊杵尊=あまつひこひこほのににぎのみこと・彦火火出見尊=ひこほほでみのみこと・彦波瀲武鵜葺草葺不合尊=ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)・妙見神社(祭神は天之御中主神=あめのみなかぬしのかみ)・須賀神社(祭神は素戔嗚尊=すさのおのみこと)・月読神社(祭神は月読尊)・出雲神社(祭神は大己貴命=おおなむじのみこと・須勢理毘賣命=すせりびめのみこと)・八幡神社(祭神は応神天皇)の6社で、本殿のすぐ裏にある。
社伝によれば創建は人皇第66代・一条天皇の御代に当たる正暦3(992)年、当時東北を席巻していた棚倉の都々古別神社を中心とする信仰にあやかり、その都々古別神社を分祀した延喜式内社・物見神社をさらに分祀したものが始まりという。本社である物見神社に対して「新宮(あらみや)」といわれ、当初は社号も「新宮神社」であったが、鎌倉以降、都々古別神社の別名「近津明神」が「千勝」に通じるとして、武士に武神として信仰されるようになったことから、「千勝神社」と改称された。江戸時代以降は天領・南森宿の鎮守として広く信仰され、その信仰の厚さゆえに、明治以降は県社に列せられている。
創建当初から16世紀頃まで、物見神社神職家の筆頭であった天野氏の分家が神職を務めていた関係上、社宝として系図・日記など天野氏関係の資料が多く残っており、廃絶して一切の史料を失った物見神社の調査に貴重な史料を提供している。また、第13代目宮司の天野宗右衛門喜教は、妖怪退治の話でこの地域ではかなり有名な人物である。
・橋場町界隈
物見神社の神職家の傍系に当たる一族が住んでいる場所。阿武隈川支流の南森川とそのさらに支流の鏡川が交わるところにある。まだ物見神社が存在していた11世紀頃、この地に転居したとされている。一つの道の両側に6軒が固まっていて、それぞれ西から倉田・天野・月宮(以上北側)、川澄・水瀬・美坂(以上南側)の順であったが、明治以降倉田・天野の2家を残して全て転居した。
なお、この2家以外の家の明治以後の消息は次の通りである。
・月宮家=明治20年代、寮荘に転居→平成9年、父親の死亡により管理を引き継いでいた大叔父が入院したことにより売却
・川澄家=明治40年代、沢潟に転居→昭和60年、舞の祖母の他界によって沢潟の家は住人を失い、取り壊される→舞の母親が放浪の末南森に戻り、伝馬町のアパートに住みつく
・水瀬家=昭和30年代、連雀町に転居
・美坂家=昭和初期、今宮に転居
また、現在の同界隈の様子であるが、倉田家と天野家が大正時代末期に建てられた蔵つきの家を持ち、それ以外は昭和30年以降に建てられた比較的古めの家が立ち並んでいる。
・福南学園高校(ふくなんがくえんこうこう)
南森市北西部、遠部(おべ)の南西部にある私立の共学高校。昭和33(1958)年創立。寮荘の福南大学を運営する学校法人福南学園によって運営されているため、同大学の附属校として扱われ、ほぼ9割以上が大学へ進学できる。学校のレベルは県南部でも五本の指に入るといわれている老舗の名門校である。生徒数は1000人ほどで、地方の高校としては多い方である。校地は市西部の山間部の集落・硯石へ向かう硯石街道に南面している。校舎は東校舎と西校舎の2棟で、渡り廊下で結ばれており、間が広い中庭となっている。正門が東校舎の南側にあり、そこからまっすぐ進むと昇降口である。また校庭は西校舎の西にあり、正門からは左に折れて西校舎を通り過ぎるか、南側に設置された西門から行くことで入れる。もともとは男子校であったが、平成6年度より共学化され、同時に校舎の改築が行われた。旧校舎は今よりも西寄りにあり、現在の西門が正門であったが、この時に旧校舎東側の麦畑を買収して校地を拡大し、そちらを新校舎の用地として正門を現在の場所に移している。なお、周辺は大師原の一部にあたり、江戸時代に開発された新田地帯で麦の栽培が盛んな土地であった関係上、現在も周辺には麦畑や野菜畑が広がっている。また、正門から街道沿いに生えている桜は毎年3月末というこの地域としては非常に早い時期に満開になる早咲きの桜で、江戸時代から「遠部の早桜」として知られ、「南森七不思議」の1つにも数えられている。
・大師原(だいしがはら)
南森市北西部の地名で、市街地の西部に接する大師堂地区西部と遠部地区南西部の俗称。江戸時代以前は、大師堂地区にある「南森大師」こと南森山宗光寺(なんしんざんそうこうじ)と、その小さな門前町の他にはほとんど何もなく、茫漠たる萱原と林が広がるばかりであったが、江戸初期に幕領化されてから新田として開墾され、麦や野菜を作る農地として生まれ変わった。明治時代以降、特に昭和以降は部分的な宅地化も行われ、現在では住宅地と農地が混在する典型的な郊外の街並みとなっている。
[コメント]
《登場人物の設定》
今回は、舞・佐祐理さんの設定を中心に公開しております。
前回同様、久瀬を含めて既存のキャラクターの性格にはほとんど手を加えておりません。逆に大きく手を加えた……というより創作したのが、二人の過去や家族構成についての設定です。原作ではヒロインたちの家族構成についてほとんど言及がないばかりか、舞の母親などは生死すら不明というような状況なのに、過去の話の中では大きく扱われていますから、どうしても必要になってしまうのです。
特に舞は、本文の「あとがき」でも述べました通り、元々の原作シナリオで語られる過去が非常に大部であったため、必然的にこちらも大きくなってしまいました。また、「舞が他の街を追われてここの街にやって来た」としている原作の設定と、「真琴を除くヒロインとサブキャラの家」=「物見神社の神職家の分家」というこの作品の前提とのすり合わせが必要となったため、舞の母親には南森出身で他の村に嫁ぎ、そしてまた南森に戻って来るという複雑な経過をたどらせざるを得なくなりました。なお、父親ではなく母親を川澄家の人間にしたのは、父親にしてしまうと神職家だった家の人間が母親や舞に悪辣な仕打ちをしたということになってしまい、ちょっとまずいと思ったからです。
また佐祐理さんの父親・繁弘については、佐祐理さんシナリオで出てきた性格に後日談のような形で「自分の行いを反省して自己改革をした」という設定をつけ加えています。あのままの性格だと、いかにもいいとこの旦那様という感じで、娘の佐祐理さんを「お嬢様のようだけどお嬢様ではない」という設定にした関係上釣り合いませんし、佐祐理さんが過去を悔いてがんばろうとしているのに父親だけ何もしない、というのはどうも気に入らなかったもので……。
この他、久瀬は本文でもご覧の通り、既存の性格に「実は人間ではなく殺生石の手先」という設定を加えました。考えてみれば随分ひどい設定ですが、何せこいつは「Kanon」で一番の嫌われ者ですし、私も大嫌いなので、このくらいの目に合わせたところでばちは当たらないでしょう。それに、「魔物」=「舞の『力』の具現化したもの」という設定がある以上、別のところで「殺生石の手先」を用意する必要がありましたから、そういう意味ではちょうどいいキャラだったというわけです。
あと、今回は一応オリジナルキャラが多くなっています。ただ舞の母親・啓子や佐祐理さんの父親・繁弘の二人は原作でもキャラとしての存在はあるので、純粋なオリジナルキャラは美汐のご先祖様の天野宗右衛門喜教だけです。でも、この人は一同に神職家の名を知らせるためだけに登場したようなもので、別に本人が出て来るわけではないので、今回は実質的になしと言っていいでしょう。次回ぐらいから、そろそろ妖狐関係などでオリジナルキャラを出すつもりでいますので、ご期待ください。
《舞台の設定》
・南森千勝神社
この神社は物見神社の分社として、また同神社関係の史料を持っている場所として設定したもので、話の重要な要素として設定したというよりも、「南森市」という街の街作りの要素として設定したという部分が強いです。そのくせ摂末社や縁起について詳しく記しているのは、結局のところ私の趣味の現れなのですが。
このため、特にコメントはありませんが、同社のイメージとしては、よく古い地方都市などで市街地の中心部、目抜き通りやそこから少し入ったところに鎮座している大きめの鎮守さんをもうちょっと大きくしたような感じの神社をイメージしていただければ間違いはありません。
なお少しだけ専門的な解説を加えますと、最後の方にある「県社」というのはいわゆる「社格」というもので、戦前神社が旧内務省の管轄下にあった頃の制度です。「延喜式」の制度にならい、例大祭の際にどこから幣帛料を賜るか、というのを示したもので、官幣大社・官幣中社・官幣小社・国幣大社・国幣中社・国幣小社・県社(府社)・郷社・村社・無格社の十個があり、実質的に神社の階級として機能しました(この他別に「別格官幣社」というものもある)。このうち官幣社は皇室より、国幣社は国より、県社(府社)以下は道府県・市町村から幣帛料を賜る神社、無格社はそれに漏れた小さな神社です。一般的な傾向から見て、地方都市の鎮守さんは特別なところを除くと郷社以下がほとんどで、県社は稀です。そう考えると、随分大きな神社と言うことになりますでしょうか。なお、この制度は国家神道制度が廃された戦後に廃止となっており、現在は「旧」をつけて神社の大きさや地位を計る目安に使います。もっとも、戦前の制度ということで、標柱に書かれているのを無理矢理上から塗りつぶしているところも数多くありますが……。
・橋場町界隈
前回も美汐の家の所在地として出て来た「橋場町」についての詳しい設定です。本文中で「神職家の分家が橋場町に家を構えていた」というのを受けて、天野・倉田以外の家がいつ転居したかをはっきりさせようとしてのもので、特にコメントはありません。町並みのイメージとしては、古い町の中心から少し外れたところにあるような、古い町並みの残っている場所などを想像していただければ結構です。
・福南学園高校
今回、舞台の設定の中で一番手をかけた設定です。一同と「魔物」、そして殺生石の手先との闘いの場になる上、今回の話の中心の一つである舞の過去にも深く関わって来る場所であるため、詳しく設定しないわけにはいきません。
まず、学校の運営形態ですが、私立にしました。公立でああいう変わった制服というのはちょっとないでしょうし、第一夜中に鍵を開け放っておくわけがありませんから(もっとも私立でもあれは異常なことには変わりありませんが)。また大学の附属校でほとんど上に上がれるという設定にしたのは、そうしないと舞が「魔物」との闘いのせいで受験勉強が出来なくなってしまい、進学が出来なくなってちょっと気の毒だと思ったためです。また、「名門の進学校」という設定にしたのは、突然学力テストをやったりと、かなり生徒の成績について厳しい側面があるように思われたからです。
また、校舎など敷地内の設備と旧校舎の設定についてですが、これが一番苦労しました。原作のCGとの兼ね合いやそのCG同士(たとえば「校門」と「中庭」など)のすり合わせでいろいろ問題がありましたし、またそれだけでなく現在の校舎の場所が元麦畑であるという設定がつけ加わっているため、各種設定が矛盾を起こさないようにうまく組み立てる必要があったのです。
まず決めたのが、新校舎の構成と校庭・中庭の位置関係でした。「校門」のCGを見ると、新校舎は二棟の校舎が並んでいるらしいこと、そして正門のところは煉瓦敷きの広場になっていることが分かります。これを考えると、校庭は正門と校舎をはさんだ位置にあることになります。また、中庭は文字通り、この新校舎の二棟の間にあるものとして解釈しました。少し「中庭」のCGと矛盾する気もしましたが、あの左側の建物が西校舎で、一見開けているような右側に東校舎があると考えられなくもないので……。そもそも、原作には明記されていませんが、麦畑が新校舎になったということは、すなわち改築に際し校地を広げたということになるわけですから、中庭がそれくらいの広さがあってもおかしくないと思ったのです。
次に決めたのが、新校舎と校庭の位置でした。これには上の位置関係と、旧校舎時代「校舎の向こうに沈む夕日」が見えた、などと原作で書かれていることにより、旧校舎は新校舎=麦畑の西側にあったという解釈になることを手がかりにしました。これにより、新校舎は敷地の東側、校庭は西側にあることが分かり、改築前と後の位置関係についても、元々の校地から改築に際して東に校地を拡大したという設定が自動的に成立しました。
なお、「Kanon」で大きな謎とされている「北国なのに卒業式で咲いている桜」については、書く方によっていろんな解釈があるようですが、ここでは「遠部の早桜」としてそもそも早く咲く桜であるということにしました。このように、何らかの突然変異などによって生態が異常となり、地元の「不思議」として伝えられている植物は各地にありますので(東京都青梅市の「実が熟しない梅の木」など)、ここでこれをやってもおかしくないだろうと思ってのことです。またこういう郷土に密着した設定を入れることで、「南森市」という街の現実性を上げる目的もあります。
・大師原
祐一たちの学校・福南学園高校のある場所として、補助説明として設定したものです。残念ながら「妖花」で公開した南森市の市街地地図では図外なので直接的に市街地との位置関係をお伝え出来ないのですが、「駅前大通り」を伸ばした先がちょうど大師原の南側で南森大師があり、そのずっと北側、「硯石街道」を伸ばした先に当たる部分に福南学園高校があるという位置関係になっています。イメージとしては、南側はひなびた門前町、北側は地方で郊外に外れるとよくある農地主体でぽつぽつと家がある光景を思い浮かべていただければ結構です。
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