第三節 『太平御覧』と『太平広記』


 さて、『箋注倭名類聚抄』で示された『太平御覧』(たいへいぎょらん)をさっそく見てみましょう。

 その前に『太平御覧』とはどんな文献なのかを説明しましょう。この本はちょうど『倭名類聚鈔』と40年ほどしか時代の違わない、北宋代初期の類書です。「類書」とは、あらかじめ立てた項目に対し、さまざまな古典籍から関連する記述を抜き出して百科事典風にしたものです。『太平御覧』の場合は、北宋の第二代皇帝・太宗の勅命により、太平興国2(977)年に撰述が始まり、6年後の同8(983)年に成立したもので、内容的には博物書です。全1000巻、55門、引用文献1600余りという超巨大な文献で、その大著ぶりもさることながら、引用文献のほとんどが現存しないためにそれらの姿を知る貴重な史料となっています。

 これで「狐」の項を見てみると、実にいろいろな文献が引かれています。しかし、ここは『箋注倭名類聚抄』で提示された『玄中記』の引用にしぼって見てみましょう。
 ちなみに、漢籍を見るのは結構簡単です。中国では『四庫全書』といい、大量の古文献を集めて叢書としたものが清代に作られているので。ただ、数百巻もあるという巨大な代物なので、かなり大きな図書館にしかまずない代物ですが……(私は大学・大学院時代に大学図書館で見ました)。「四庫」とは「
経・史・子・集」の四種類に分ける中国独自の書籍分類「四部分類」によって分けられたがゆえの名で、『太平御覧』は「経」に入ります。

『太平御覧』「狐」條所引『玄中記』(底本:『景印文淵閣四庫全書』)
[原文]
玄中記曰。五十歳之狐。爲淫婦。百歳狐。爲美女。又爲巫神。
[訓読文]
『玄中記』曰く、「五十歳の狐は淫婦と為り、百歳の狐は美女と為り、又巫神と為る」と。

 確かに『箋注倭名類聚抄』で指摘された通りの記述がありますね。おまけに百歳どころか、五十歳で「淫婦」とはこれまた強烈な記述です(汗)。とにかく狐は一定以上歳をとると妖怪化し、女性に化けるという認識が完全に固まっていたようです。

 記述が確認出来たところで、『玄中記』という書物が一体どんな素性のものなのかについても調べなければいけないでしょう。この文献も類書で、どうやら心霊現象や妖怪変化などに関する項目を集めた書のようなのですが、残念ながら完全に散佚し、『太平御覧』などに引かれているものを見ないといけません。それでも成立年代・編者ははっきりしないものの見解が示されており、何と晋代の郭璞という人の撰とされています。

 晋代……仮に西晋・東晋両方入れて考えた場合、西暦では3世紀中頃〜5世紀初めです。しかも郭璞は3世紀末から4世紀初頭の人なので、大体の年代の見当がつきます。魯迅は「郭璞が編者というのは六朝時代人による仮託」と言っていますが、六朝時代=魏晋南北朝時代だって4世紀初め〜6世紀末です。日本ではまだ古墳時代、下手すると弥生時代ですよ……『倭名類聚抄』が10世紀中頃ですから、どう少なく見積もっても400〜500年は早いことになります。さすが中国……。

 ちなみに、この『玄中記』を一番大量に収録している書物が、『太平広記』という類書です。この書は『太平御覧』と兄弟関係にある書で、北宋の第二代皇帝・太宗の勅命により、太平興国2(977)年に撰述が始まりました。『太平御覧』より2年早く出来上がり、上梓が決定されたものの突如中止されてしまい、写本として次の次の代の明の時代に伝わりようやく刊行が叶ったというなかなか波瀾万丈な存在です。中身は『太平御覧』と違ってもっと専門的で、475種の古典籍から怪異譚だけを抜き出したという妖怪専門類書です。『四庫全書』では『太平御覧』と同じ「経」に入っています。

 この書のすごいところは、「狐」だけで全500巻のうち7巻が占拠されてしまっているというところでしょう(汗)。当時それだけ狐がらみの怪異話がまことしやかにささやかれていたということなんでしょうね。この書での『玄中記』の引用は、7巻延々と続く狐関係の記述の最冒頭、「説狐」という狐を定義した條にあります。

『太平広記』「説狐」條所引『玄中記』(底本:『景印文淵閣四庫全書』
[原文]
狐。五十歳能變化爲婦人。百歳爲美女。爲神巫。或爲丈夫。與女人交接。能知千里外事。善蠱魅。使人迷惑失智。千歳即與天通。爲天狐。[出玄中記]
[訓読文]
狐、五十歳にして能く変化し婦人と為る。百歳にして美女と為り、神巫と為る。或いは丈夫と為り、女人と交接す。能く千里の外事を知る。善く蠱魅し、人をして迷惑失智せしむ。千歳にして即(すなは)ち天と通じ、天狐と為る。[玄中記に出づ]
[大意]
狐は五十歳で変化するようになり婦人になる。百歳で美女や巫女となり、あるいは男になって女性と交わる。よく千里の出来事を知ることが出来る。魅惑の法を使い、人を迷わせ惑わせて正気を失わせる。千歳で天に通じ「天狐」となる。[出典・玄中記]

 さすが怪異話だけをピンポイントに集めた本だけに、相当詳しい記述です。『太平御覧』とは少し文章が違いますが、内容は完全に一緒です。
 特徴的なのは、一応「男にも化ける」ということになっているということでしょうか。しかし文中「或いは」で附属扱いですし、実際の説話でも狐が男に化けた話はあんまりありません(少ない代わりに「狐が女をリストにつけて狙いを定め、男に化けて強姦していた」なんて強烈な話があったりしますが)。まあ『玄中記』の認識としては「狐」=「女性に化けるもの」と理解してしまっていいでしょう。

 しかしここまでたくましくイメージが固定されていると、これより前があるのではないかと思いますね。いや、実際にあるでしょう。「狐」をもののけ扱いする記述は既に『詩経』(紀元前7世紀)からあるとかで、「霊獣」「妖怪」としての狐のイメージは相当古いものです。この分なら「狐娘」も晋代以前、例えば漢代などにあってもおかしくないのではないのでしょうか。

 そんなことを考えながら紙媒体の助けになればとインターネットでうろちょろしていたところ、「………!?」という記述を発見してしまったのです。

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